Kept

ホーム / ガイド

子どもの作品、残せないときどうするか

すべての絵が記念品というわけではなく、そう決めることは子どもへの愛情を否定することにはなりません。子どもの作品が他の片づけと違うのは、届くのが止まらないという一点です。おもちゃには誕生日という節目がありますが、作品にはありません。保育園や学校のペースで、週に何枚も、何年も届き続けます。そして子どもは、おもちゃの行方を尋ねるようには、特定の一枚の絵の行方を尋ねたりしません。

この山が止まらない理由

おもちゃの片づけには自然な節目があります。誕生日、季節の変わり目、遊ばなくなった段階——そこで流入が目に見えて落ち着き、追いつく機会が生まれます。作品にはそれがありません。学校に通う子どもは、先生が決めるペースで絵を描き、プリントの余白に落書きをし、切り紙をし、粘土の手形を作ります。壁や引き出しにどれだけ余裕があるかとは無関係です。この流れが自然に止まることはなく、実際に効く方法はただひとつ、届くたびに一枚ずつ判断しなくて済むやり方だけです。

罪悪感の向き先を間違えている

多くの親に「なぜ引き出しが三段分もいっぱいなのか」と聞くと、正直な答えは「いつかまた見たがるかもしれないから」ではなく、「これを処分したら、愛情が足りないと言っているようで怖い」というものです。この感覚をはっきり名付けておく価値があります。実際にはこれこそが手を止めさせている張本人だからです。子どもが一枚の絵に持つ愛着は、たいてい渡された時点でほぼ完結しています。価値は描いている間の数分間の集中と、掲げて見せてくれたその瞬間にあり、紙が引き出しの中で十年生き延びることにはありません。紙を残しても、写真より多くその瞬間を保存できるわけではなく、ただその瞬間の置き場所が重くなるだけです。

一枚ずつ判断しなくていい方法

「これは残す価値があるか」を一枚ずつ問うのが疲れるのは、一枚の絵に対して個人的な拒絶に感じさせずに「いいえ」と正直に言う方法がないからです。その問い自体を省きましょう。代わりに容量の決まった入れ物を使います——子どもひとりにつき箱ひとつ、あるいは拡張式のフォルダーひとつ。いっぱいになったら、新しい一枚を入れる代わりに、いちばん古い、あるいはいちばん印象の薄い一枚が出ていきます。それを劣っていると判断したからではなく、箱に容量があり、何かが出ないと入らないからです。これで、一枚の絵についての感情的な判断が、入れ物についての機械的なルールに変わります。機械的なルールのほうが、実際に続けやすいものです。

紙そのものではなく、絵の記憶を残す

処分する前に、写真に撮っておきます。スマホで一枚撮るほうが、原画を飾る場所を探すより早く、後で実際に問われる唯一の問い——あの子が描いた犬の絵、まだある?——にも、紙を十一年間保管しておかなくても答えられます。ほとんどの作品は写真だけで十分です。実物として引き出しの場所を使う価値があるのはごく一部で、その一部をはっきりさせておけば、残りは迷わず手放せます。

実物として残す価値がある、そのひとにぎり

選ぶ基準は上手さではなく物語です。技術的にいちばん上手な絵より、具体的な物語がついた絵のほうが、あとになって重みを持つことが多いものです。毎年同じ年齢で描いた自画像、初めて名前を正しく書けた日の絵、今はもういない人のために描いた絵。冷蔵庫や壁に入れ替え式の展示スペースをひとつ用意すれば、「今の作品を讃える」という日々の役目は果たせます。次の一枚が届いたら入れ替えればよく、それで十分です。古い一枚は、冷蔵庫に一時飾られただけで、永久保管に格上げされる必要はありません。

その写真を、何千枚もの他の写真に埋もれさせず、あとで実際に見つけられるようにしたいなら、Kept ではその子をメンバーとして写真を紐づけ、自分で書いた名前を付けられます。「5歳の自画像」のひと言があれば、一年後でも見つけられます。それは、本当に証拠として残すと決めたひとにぎりの作品にする価値があることで、毎週増えていく分は素直に処分してしまうほうがいいものです。

「片づいた」とはどういう状態か

紙を一枚も残さない状態でも、一度も絵を処分したことがない家でもありません。片づいた状態とは、子どもひとりにつき境界のある箱がひとつあり、それが二つ目を必要とせず、冷蔵庫は毎週入れ替わっても記録庫にはならず、そして手放すことが自分の愛情を疑わせるからという理由ではなく、記憶をたどって物語を話せる、ごく少数の作品だけが残っている状態です。