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古い卒業アルバム、開かないまま持ち続けていいのか

卒業アルバムは、厳密には自分だけの記憶ではない。教室というひとつの部屋にいた大勢の人たちの記憶で、その多くはもう何年も思い出したことがなく、道ですれ違っても気づかないだろう。それが古い写真の箱と違う点だ。写真は自分で選んで残したものだが、アルバムは欲しいと言ったわけでもないのに毎年配られ、実際に必要な時期をとうに過ぎても本棚の奥に居座り続ける。

なぜこれだけ手放しにくく感じるのか

たいていの思い出の品が重みを持つのは、それが自分だけに関わるものだからだ。自分が獲得したトロフィー、自分ひとりに宛てて書かれたカード。卒業アルバムはそうではない。中身の大部分は他人——一年間だけ同じ校舎にいたクラスメイト何百人分の顔、入っていなかった部活のページ、とっくに閉店した近所のお店の広告。自分が本当に写っているのは、たいてい証明写真一枚と、部活や係の集合写真が一、二枚、それに誰かが書いてくれた寄せ書きが数ページだけだ。それ以外は、今この場で最初から最後まで読み通したとしても、ほとんど流し読みしてしまうページになる。

この比率に気づくと、問いそのものが変わる。決めるべきは「高校二年を手放すかどうか」ではなく、本当に自分のものと言える六、七ページのために、ほとんど他人の何百ページを一緒に抱え続けるかどうかだ。

残す価値があるかを見分ける簡単な方法

一冊開いて、ページごとにこう自問する。説明を読まなくても、これが誰で、なぜ大事なのか言えるか。自分の証明写真は、考えるまでもなく合格。具体的な記憶とセットになった寄せ書き——二人だけに通じる冗談、先生の一言、今読んでも笑ってしまう言葉——も合格。名前を見ないと誰だか思い出せないクラスメイトが並ぶページは不合格、自分がどこに写っているかすぐ指させない集合写真も不合格。これはその人たちやその年が良くなかったという話ではない。ただ、そのアルバムのどのページが本当に自分のために機能していて、どのページがただ付いてきただけなのかを、正直に測っているにすぎない。

何冊もある場合は、一冊ずつではなくまとめて決める

中学から高校まで積み重なった何冊ものアルバムは、重みが均等であることはめったにない。多くの人は、本当に意味を持つのはせいぜい一、二年分だと気づく。たいていは寄せ書きが一番濃く、友情が一番深く、当時の自分を一番はっきり覚えている年だ。それは卒業年度であることが多いが、決めつけずに実際に確認する価値はある。全冊を並べて、上のテストで一冊ずつ見ていけば、ほとんど空白に近い年はすぐに手放す判断がつく。四冊残して二冊手放すことに理由はいらない。アルバムはひとそろいで動かさなければならないものではない。

本を残さなくても、中身は残せる

三百ページのアルバム一冊は、本当に意味のある六、七ページのために本棚一段分の場所を取る。一冊まるごと残すか手放すかを決める前に、該当ページだけ写真に撮っておく。具体的な記憶がある寄せ書き、自分の証明写真、実際に自分が写っている部活や係の写真。きれいに撮った寄せ書きの写真は、文字もメッセージも原本と同じように残るうえ、反ることも黄ばむことも、棚を占領することもない。そのページさえ撮ってしまえば、その本が持っていたものはもう全部受け取ったことになる。

残りは実際どこへ行けるか

卒業アルバムは、寄付や譲渡の市場がほとんど存在しないカテゴリーだ。その学校に通ったことのない他人にとっては、中古のアルバムはほぼ使い道がない。だから、服や家具のように新しい行き先を見つけてあげなければと感じる必要はない。それでも確認する価値がある場所は二つある。学校の図書館や同窓会が過去のアルバムを保管していて、特定の年が欠けていることがある。また、同窓会を企画している幹事が、思い出コーナー用に古いアルバムを探していることもある。学校の事務室に一言問い合わせれば、どちらか当てはまるかすぐわかる。それ以外なら、紙自体は普通にリサイクルできる。光沢のある厚めの紙だが、たいていの古紙回収で問題なく扱える。その回収に出すことは、その一年をどう評価するかとは関係ない。

実家に置いたままのもの

実家の子ども部屋や物置には、誰も開かないまま何十年も並んでいるアルバムがよくある。自分のものであれば、上のテストは離れた場所からでも同じように使える。その場に立たなくても、ある寄せ書きや写真が今も自分にとって意味があるかは判断できるし、迷うなら家族に該当ページを撮って送ってもらえばいい。きょうだいや親自身のものであれば、他人のために保管している物すべてに当てはまる基本原則がここでも同じように働く。推測せず直接聞くこと。実際に率直に聞いてみると、たいていの人は家族が思っていたよりずっと少ない数しか残したがらない。

Kept が向いているもの、向いていないもの

卒業アルバムは、家庭の物品リストに載せる価値があるものではない。それは一度きり決める思い出の品であって、来月お店でうっかり同じものを買ってしまう心配があるものではないからだ。Kept が見ているのは別の種類のものだ。気づかないうちに買い直してしまいそうなものは、買う前にひと検索して確認できるようにし、しばらく触れていないものは数か月経つと自然と未使用リストに浮かび上がってきて、気づかないまま抱え込み続けるのを防ぐ。あえてここで区別するのは、何年も開かないアルバムの一山と、重複した充電ケーブルの引き出しが、見た目としては似ているからだ。しかし必要な向き合い方はまったく違う。アルバムは、このアプリが追いかけようとしている種類のものでは、もともとない。

「片づいた」とはどういう状態か

アルバムが一冊もない家という意味ではないし、一冊しか許されないというルールでもない。本当に意味を持つ一、二年分が、実際にまた手に取る場所に残っていて、残りは寄せ書きと写っている顔がすでに写真として保存されていて、その六、七ページのために三百ページの本一冊分の棚のスペースを求めずに済んでいる状態だ。あのページに書いてくれた人たちは、伝えたかったことをもう伝え終えている。それを証明するために、本がずっと見張っている必要はない。