買ったのに使わないものが多いのはなぜか
使わないまま終わる買い物のすべてが衝動買いというわけではありませんし、すべてが「持っていたのを忘れていた」重複購入というわけでもありません。三つ目のパターンがあり、それがいちばん見つけにくいのは、買った瞬間はまったく失敗に感じないからです。買っているのは、これから自分がなろうとしている人が使うはずのもの。そして、ある普通の火曜日に実際にそれを手に取って使うのは、その人ではなく今の自分です。
買った瞬間に、もう役目は終わっている
店先で、あるいはカートに入れたままスクロールしているとき、頭の中にあるのはそのモノそのものではなく、ひとつの場面です。良い包丁で作る料理、出勤前に走る朝、いつか話せるようになる言葉。その場面を思い描くこと自体がとても心地よく、購入というのは、その場面が現実味を帯び始める瞬間です。厄介なのは、その心地よさが届くのは箱を開ける瞬間ではなく、支払いを終えた瞬間だということです。だから箱を開けるころには、この買い物が与えてくれるはずだったものの大半は、もう受け取り終わっています。その後それを四十回使うか一度も使わないかは、買った瞬間の満足感にほとんど関係がなく、だからこそこのパターンは学びにくいのです。帰り道、それを失敗だとは少しも感じません。
衝動買いとも、重複購入とも違う
衝動買いはタイミングの問題です。欲求は数分でピークを迎え、消えていきます。だから短い一時停止で乗り切れます。重複購入は記憶の問題です。すでに持っているのに、店先でそれを確かめる術がなかっただけです。このパターンはどちらでもありません。持っていないことは本人もよく分かっていて、その「欲しい」は数秒ではなく何週間も居座ることがあり、だからこそ衝動なら食い止められる一時停止をやすやすとすり抜けます。ここで実際に動いているのは、自分がどんな人になろうとしているかという物語であり、物語は衝動のようには消えていきません。むしろ長く考えるほど、その場面はより具体的に、より説得力を増していくことすらあります。
どんなジャンルで起きやすいか
機能だけでなく、自分がどういう人かというイメージそのものを兼ねたジャンルで特に起きます。ときどきしか手を出さない趣味の「本格的な」道具、いま実際にはしていない料理スタイルに紐づいたキッチン用品、変化がすぐそこまで来ていると感じた瞬間に買った講座や本の山、実際に手を動かして片づける前に散らかりを解決するために買った収納グッズ。どれもモノ自体が悪いわけではありません。共通しているのは、購入と新しい習慣が一緒にやってくるはずだったのに、確実に届くのはたいてい片方だけだということです。モノは配送日にきちんと届きます。習慣が届くとしても、それは自分のペース次第で、思い描いていたよりずっと遅く、ずっと不完全にしかやってきません。
実際に食い止められる問い
「これを使うだろうか」という問いは簡単に「はい」と言えてしまいます。その瞬間答えているのは、想像上のその人であって、今の自分ではないからです。もっと鋭い問いがあります。四か月後の、何でもない火曜日にそれを使っている場面を思い描いてみる——今週末でも、理想化された生活でもなく。今の毎日の中に、それが入り込む余地がすでにできている具体的な部分はあるだろうか。正直な答えがノーなら、その買い物は本当はそのモノについてのものではありません。変化に近づいたと感じるための手段であり、実際に変化を起こすという、お金では買えないもっと難しい部分の代わりです。それは責めるべき性格の欠点ではなく、お金が出ていく前に気づいておく価値のあることです。この一連の流れの中で自分の力でどうにかできるのは、気づく、というその一点だけだからです。
すでに家にあるものは、どうすればいいか
このパターンで買って使っていないものがすでに家にあるとしても、他の使っていないモノと違う種類の罪悪感は必要ありません。同じ正直な問いが通用しますし、このパターンだと名前をつけて認められると、毎回それを個人の失敗として扱うよりずっと手放しやすくなります。未使用日数という数字が感覚より役に立つ理由のひとつがここにあります。「あまり使っていない気がする」を、責める物語を付けずに具体的な数字に変えてくれるからです。Kept は記録したものすべてにその日数を静かに数え続けますし、重複購入を止めてくれる「買う前に、ひと検索」は、こういう買い物に対しても悪くない一時停止になります。買おうとしているものを入力して、それが何か月も動いていないと表示されるのを見ることは、想像上の自分が話し終える前に、今の自分と会う速くて穏やかな方法です。
実際に変わること
目指すのは、こうした「憧れの購入」がゼロの家ではありません。少し違う自分になりたいと思うこと自体は、なくすべき問題ではないからです。変わるのは、その物語に毎回もう少し早く気づけるようになることです。未来の自分を思い描くときの、あの特有の心地よい感覚を認識し、それを「今すぐ買うべきだ」という判決ではなく、今の気分についての情報として扱えるようになること。それだけです。