プリントやテスト、通知表の処分
絵は自分から主張してきます——残すと決めた瞬間を覚えているものです。計算テストはそうなりません。似たような十枚以上と一緒にランドセルに折りたたまれて帰ってきて、気づけばファイルが五センチの厚みになっている頃には、「良いものだけ残す」というやり方はもう使えません。そもそも一枚ずつ「良い」と選び分けた瞬間がなかったからです。プリントやテストは作品の小型版ではなく、別の問題であり、別の答えが要ります。
この山が作品の山より厄介な理由
作品にはまだ違いがあります。自画像と指絵は見た目が違い、その違いが判断材料になります。採点済みのプリントの束は、前の年の束とほとんど見分けがつきません。少しずつ整っていく字、同じ赤ペン、同じ「100点」か「やり直し」。二百枚の中でどれか一枚だけが際立つ瞬間はなく、決断は一枚ずつ行われることのないまま、ただ積み上がっていきます。積み上がったこと自体が問題になるまで——ファイル、引き出し、あるいはその学年が終わって以来一度も開けていない収納箱の中で。
ここでの罪悪感は愛情ではなく「証拠」についてのもの
作品の場合、恐れは大抵「手放したら愛情が足りないと思われないか」です。プリントやテストの場合はもっと静かで、もっと奇妙です。「これがこの一年が確かにあった証拠の、唯一の品だったらどうしよう」。通知表は公式な記録のように感じられ、いつか誰かに「この子が確かに学校に通っていた」と証明を求められたときに出す書類のような気がします。ですが実際にはほとんどの親が、このファイルを開き直して確認することなどありません。その「証拠」は、未来の自分を含め、誰のために残しているわけでもないのです。捨てることが何かを消してしまうように感じられるから残っているだけで、残しても誰かが読みに来るわけではありません。
山を仕分けてから、初めて判断する
いちばん役に立つのは、「学校のプリント類」をひとつのカテゴリーとして扱うのをやめることです。通知表と計算テストは、同じものの違う姿ではないからです。通知表は小さく、年に数回しか来ず、一学期分をきちんと要約したものとして、子どもの在学期間全体を通して一冊の薄いファイルに収める価値があります。計算テストはカリキュラムのペースで作られる、ほぼ同じものの一枚にすぎず、持ち帰った特定の日から切り離されると、それ自体の固有の記憶価値はほとんど残りません。この二つに山を分けるだけで、二百枚についての不可能な判断が、十数枚の通知表についての簡単な判断と、思い切って処分してよい大きな山とに変わります。
一枚ずつ読まなくていい、毎日の山のためのルール
ほぼ同じ二百枚のプリントを全部読まなくても、あとで本当に欲しいものは分かります。それはたいてい特定の一枚の内容ではなく、字の様子、スペルの癖、7歳と10歳とで物事の考え方がどう違ったかという感覚です。それに答えるのは、あえて薄くしたサンプルであって、完全な保管庫ではありません。大事な教科ごとに、学年の初めに一枚、終わりに一枚あれば、同じような計算テストを一年分そろえるより、変化ははっきり見えます。それ以外は、持ち帰ったその日のうちに処分してしまえば、「もう触りたくないほど大きな山」になる前に済みます。
通知表は実物で残す価値があり、残りの多くはそうではない
通知表はもともとコンパクトなので、わざわざデータ化する理由はあまりありません。子どもひとりにつき薄いファイルを一冊、実際に見に行きそうな場所に置いておくほうが、二度と検索しないスキャンデータより役に立ちます。プリント類はその逆です。誰も読み返さない文字がぎっしり詰まっていて、実物としてはかさばり、写真にはすぐ撮れます。特に印象的な数枚だけ——全部ではなく、分数がようやく分かった週のような、何かと結びついた一枚だけ——を写真に撮っておけば、何年か後に本当に聞かれる質問、「この年頃は何を勉強していたんだっけ」に答えられます。「17問目の割り算をもう一度見たい」とは、まず聞かれません。
Kept でできること
実物として残すと決めたひとにぎりのプリントと通知表のファイルについて、後で困りがちなのは「残すかどうか」ではなく、二度の引っ越しとガレージの片づけを経たあと「学校の箱」がどこにあるのか分からなくなることです。Kept では、思い出の箱そのものを一つの持ち物として、その子をメンバーに紐づけて登録できます。写真と、中に実際に何が入っているかのメモを付けておけば、「通知表、どこに置いたっけ」という質問に、屋根裏の箱を全部開けずに答えられます。
「片づいた」とはどういう状態か
リサイクルに出す箱が空っぽの状態でも、一度も整理したことのないファイル棚でもありません。片づいた状態とは、子どもひとりにつき二冊目を必要としない薄い通知表ファイルが一冊あり、なんとなく全部残すのではなく意図して選んだ少数のプリントのサンプルがあり、そして毎日の山はその週のうちにリサイクルへ回る——なぜなら「全部残す」が本当の計画だったことは、もう何か月も前になかったからです。