Kept

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古い雑誌の処分の仕方

本には終わりがある。読み終えれば、それを手放すかどうかは、少なくとも一つのまとまった作品についての判断になる。雑誌には本当の終わりがない。気になっていた記事を二つ読んで、残りはぱらぱら眺めて、また今度読もうと置いておくうちに、次号が届いてしまう。定期購読を一年続ければ、誰も意図して選んだわけではない山ができあがる。その山を崩せずにいるのは、「なにか使える部分がまだあるはずだ」という漠然とした感覚だけで、それがどの号のどのページなのか、答えられる人はほとんどいない。

雑誌の積み上がり方は、ほかのモノとは違う

たいていのモノは、使わなくなったのに手放さなかったから溜まっていく。雑誌はそうではなく、前号をどう扱ったかに関係なく、次号が勝手に届く。つまりこの山は、本来の意味での片づけの問題というより、「入ってくる量」の問題が片づけの顔をしているだけだ。テーブルの上の山を毎月きれいにしても、翌月にはまた同じ高さに戻る。片づける動作そのものが、山を作り続けている原因には触れていないからだ。

本当に惜しいのは、たいてい号全体ではない

号ごとに正直に問うてみる。ここに具体的に欲しいものが本当にあるのか、それとも読み切っていないものを捨てるのがもったいない気がするだけなのか。正直な答えはほとんどの場合、作ろうと思っていたレシピ、型紙、読みかけの長い記事、気に入った写真ページなど、ごく一部のものだ。「全部」ということはまずない。この区別は大事だ。選択肢は「雑誌を丸ごと残すか、欲しかったものを諦めるか」ではなく、もう二度と開かないとわかっている広告や記事の何十ページかを抱え込まずに、欲しかった部分だけを手に入れられるということだからだ。

号ではなく、ページだけを残す

ある号の中で本当に残したいものが二つ三つ見つかったら、そのページを切り取るか写真に撮って、残りは手放してよい。レシピも型紙も記事も、スマホの写真やファイルの一枚として持っておくのと、山の底に埋もれた雑誌から探し出すのとで、使い勝手は変わらない——むしろ写真のほうが後で検索できる分、棚に並んだバックナンバーより見つけやすい。これは卒業アルバムや取扱説明書の処分と同じ考え方だ。本当に手放しがたいのはたいてい数ページであって、出版物そのものではない。そのページさえ切り分けてしまえば、残りは先延ばしにし続けていた決断ではなくなる。

号ごとではなく、山ごと決める

一年分のバックナンバーを一冊ずつ見ていくのは疲れるし、そもそも単位として間違っている。山ごと一度に取り出して、ざっと目を通し、上のテストに通ったページだけを抜き出す。実際にやってみると、ほとんどの号には何も残らないことが多い。読んだときに楽しくなかったからではなく、「一度読んで楽しんだこと」と「ずっと取っておきたいこと」は別の話で、たいていの雑誌はそもそも後者を求めていなかったというだけのことだ。

残りの行き先

雑誌の光沢紙は多くの地域で普通の古紙回収に出せるので、この山はプロジェクトにする必要はなく、そのまま資源ごみに出せばいい。それ以外だと、学校のコラージュ用素材として美術の先生が欲しがることがある、最新号ならまだ受け入れている待合室がある(多くは受け入れをやめているので、持ち込む前に一本電話しておくほうが確実だ)、地域のフリマグループで新しめの号に興味がある人が見つかることもある。どれも義務ではない。雑誌は寄付や売却にあまり向くジャンルではないし、本当に欲しかったページはすでに手元にあるのだから、残りを資源ごみに出すことはもったいないことではない。

本当に効く対策

ここまでの話は、次の山ができるのを止めてはくれない。この山の原因は棚の上のバックナンバーではなく、まだ続いている定期購読だからだ。今回片づけても何も解約しなければ、一年後にはまた似たような山を前に、同じ決断をすることになる。本当に効くのは地味な一手だ。まだ自動更新になっている定期購読を確認し、実際には二本くらいの記事しか読んでいなかったと気づいたものは解約する。紙を持たずに読み続けたいなら、多くの雑誌には電子版があり、図書館で最新号を読める場合も多い。紙の一冊を所有しなくても読むことはできる。

Kept が役に立つところ、立たないところ

雑誌の山そのものは、持ち物リストに記録する価値のあるものではない。店で誤ってまた買ってしまうような種類のモノではないし、本当に大事なページを抜き出してしまえば、あとは追跡すべきものが残らない。Kept が向いているのは別の種類のモノだ。気づかないうちに同じものを買ってしまいがちなもの、買う前にさっと検索して確認できるもの、そしてしばらく触っていないものが引き出しの奥で忘れられる代わりに、数ヶ月後に自然と浮かび上がってくるもの。ここでわざわざ触れるのは、雑誌の山を保たせている「あとで必要になるかもしれない」という感覚が、台所の引き出しに栓抜きが三つ眠っている感覚と、実は同じものだからだ。対処の仕方はまったく違うけれど。

片づいた状態とはどういうことか

雑誌が家に一冊もない状態のことではないし、本当に楽しんで読んでいるものまで罪悪感で処分することでもない。山の底に眠っていた本当の理由だったレシピや記事を収めた薄いファイル、あるいはスマホの中の数枚の写真。少し重くなった今週の資源ごみ。そして解約した一つの定期購読——それによって、来年の同じ時期に積み上がる山が、少し小さくなるか、そもそもできなくなる。