子どもが家を出たあと、あの部屋をどうするか
子どもが出ていった日を境に、部屋は一晩で使われなくなります。でも、使われている感じまでは消えません。寮に入った、初めて一人暮らしを始めた、結婚した——理由が何であれ、部屋はごく普通の火曜日のまま何年も止まってしまうことがあります。次に何をすべきか、それを決めるのが誰の役目なのか、はっきりしないからです。この迷いは優柔不断ではありません。部屋の中にあるモノは、名義の上でも実際の意味でも、もうこの家にいない誰かのものであり、その人に代わって手を付けることは、「もう戻ってこなくていいと思っている」という宣告のように受け取られかねません。本当はただ、客間を取り戻したいだけだとしても。
ほかの部屋の片づけとは違う理由
普通の断捨離は、片づける人とモノの持ち主が同じ人で、その場にいて、その場で決められることを前提にしています。子どもの旧部屋は、この前提を二重に崩します。モノは自分のものではなく本人のものなので、代わりに決めることには自分の物を決めるのとは違う重みがあります。そして本人はその場にいないので、どの選択も電話を待つか、本人抜きで決めるかのどちらかになり、どちらの道を選んでも、日によっては間違っている気がしてしまいます。これは普通の週末の片づけというより、親の断捨離を手伝う状況に近いものです——モノは他人のもの、積み重なった年月も他人のもの、期限だけがおおむね自分のもの、という状況です。
離れていても、決めるのは本人
本人がその場にいないからといって、決定権がこちらに移るわけではありません。卒業アルバム、トロフィー、本人にしか分からない理由で取ってある手紙の束——これらを本人に聞かずに「残す」「手放す」に仕分けてしまうのは、ちょっとした片づけのはずが、ずっと大きな話になってしまう一番早い道です。逆もまた真実です。聞くのが気まずいからと、いわば祭壇のように一切手を付けずに残された部屋も、実は誰にとっても優しくありません。家が本当に必要としている使い道からその部屋を遠ざけてしまいますし、五年間誰も開けていない箱は思い出ではなく、話題にすら上らなくなった不用品です。
ちょうどいいのは、罪悪感を乗せずに、はっきりと聞いてしまうことです。部屋を書斎や来客用の部屋に変えようと思っていること、だいたいこのくらいの時期に、と伝えたうえで、何を残したいか、何を送ってほしいか、何は手放していいかを尋ねます。実際に聞かれてみると、多くの人はその質問に、親が思っているよりずっとあっさり答えられるものです。
質問する前に、まず仕分けておく
部屋の中身がすべて本人の判断を必要とするわけではなく、全部を等しく大事なものとして扱ってしまうことが、会話を「手に負えないほど大きなもの」に感じさせる原因です。だいたい三つの山に分けられます。ひとつ目は普通で重要度の低いもの——サイズの合わなくなった服、昔の学校のプリント、期限切れの洗面用品、もう誰も使っていない機種の充電器——で、これは自分の家のどの引き出しを片づけるときとも同じように、確認なしで処分してかまいません。ふたつ目は本当に本人が決めるべきもの——卒業アルバム、賞状、名前が入っていて重みのあるもの——で、代わりに決めず、取り分けておきます。三つ目は共有か、どちらのものとも言い切れないもの——家に備え付けの家具、家族みんなで使っていたゲーム機——で、これはどちらか一方の問題ではなく、家族全体で決めることです。
訪ねてもらわなくても決められる
Kept はこの状況のために作られたアプリではありませんが、日常の断捨離のために備わっている機能が、ここでもそのまま役立ちます。片づけながら棚や引き出しをその場で撮っておく——一度に最大10点までまとめて認識できます——のは、電話で説明したり、いつになるか分からない帰省を待ったりするより速く、そのままメッセージで送れます。答えが返ってくる速さは、想像で判断するのとは比べものになりません。しかも無料です。
部屋を使うことは、本人を忘れることではない
この迷いの根っこにあるのは、部屋を別の用途に変えることが「その人よりも空間のほうが大事だ」と言っているように感じられる怖さです。でも実際は逆です。開けられても避けられるだけの部屋は、かつてそこで眠っていた本人も含め、誰の役にも立っていません。実際に出しておかれ、目に触れるモノ——一枚の写真、一段の棚、今も使われている家具——のほうが、開かずに保存された部屋一室よりも、ずっとよく思い出を留めます。目に見えるものだけが、意味を持ち続けるからです。
「終わった」とはどういう状態か
期限までに部屋を空にすることでも、祭壇のように保存することでもありません。思い込みではなく、実際に交わされた会話。本人に確かに属し、そのために取り分けられた少数のモノ。そして、今その家に実際に暮らしている人たちによって、また使われるようになった部屋——それだけあれば十分です。